■ 豫園 |
明代の私庭園で、潘允端が父親のために造ったもの。個人の庭としてはかなり広い。 (1996年12月) |
岩有り、池有り。江南式の庭園は散策するだけでも楽しい。 (1996年12月) |
完成までには19年かかったという。造られた当時は5万平米の敷地があった。 (1996年12月) |
楼閣や亭が点在していて、それぞれの建物が回廊で結ばれている。 (1996年12月) |
1996年当時は、多くの観光客でにぎわっていた。 (1996年12月) |
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1997年には大幅な工事が入っていて、立ち入りのできる場所が制限されていた。 (1997年12月) |
池を泳ぐ鯉に圧倒される。でも、誰も見ちゃいないかも…… (1997年12月) |
一番左の写真と同じ場所を撮影。 (1997年12月) |
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さすがにもう入るのは飽きてしまったので、豫園の周りの商場だけを散策した。 (2002年2月) |
こちらは豫園の「九曲橋」。橋の由来は、人生には9回の曲がり角があるからとも、魔物は真っ直ぐ進めないから、とも言われる。 (2002年2月) |
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■ 外灘 |
バンドとも呼ばれている地区。昔の租界時代の建物が今でも残っている。 (1996年12月) |
黄浦江沿いの一帯が、歩行者用の道路となっている。 (1996年12月) |
黄浦江の反対側には、昔の国際都市の名残がある。 (1996年12月) |
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日が暮れて、灯りのともる頃になると、さらに美しくなっていく。 (1997年12月) |
デートスポットとしても人気の場所。よく、写真を撮っているカップルを見かけた。 (1997年12月) |
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街灯は数年前と全く変わらない。ここだけは時がとまったかのように、時間が緩やかに流れている。 (2002年2月) |
フランスや日本の建築した建物は今でもちゃんと使われているのだ! (2002年2月) |
歩道はかなり広いので、みな、思い思いに歩いている。売店で買ったものを食べ歩きするもよし。 (2002年2月) |
黄浦江と、浦東地区。東方明珠が見えている。 (2002年2月) |
黄浦江はかなり汚れている。みんな、ゴミを捨てちゃうらしい。 (2002年2月) |
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■ 上海博物館 |
中国で最も近代的な博物館とされる上海博物館。全体は4階建てで、じっくり見ると1日は潰れる。 (1997年12月) |
これ、本当は写真を撮っちゃいけなかったらしい。でも、「写真禁止」と書いていないものは全て撮影可。 (1997年12月) |
昔の暮らし振りを再現した部屋もあり、立体的にも楽しめるようになっている。 (1997年12月) |
刀銭。昔はこんなお金を使っていたらしい。持ち歩くのが危なそう…… (1997年12月) |
■ 玉仏寺 |
1882年に建立された禅寺。ここには白玉でできた仏像が安置されている。 (1997年12月) |
禅寺なのにきらびやか…… 敷地内の「玉仏寺素斎」では本格的な精進料理が食べられる。 (1997年12月) |
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■ 南京東路 |
上海随一の繁華街「南京東路」の1996年の姿。行き交う車が見える。 (1996年12月) |
陸橋からの眺め。陸橋そのものも名物となっていた。 (1996年12月) |
人通りのまばらな南京東路。両側の店もまだまだ寂しい感じがする。 (1996年12月) |
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1997年に入り、全面工事の始まった南京東路。中央に分離帯ができ、車の数も増えた。 (1997年12月) |
行き交うバスの姿も見られる。人よりも車が目立つ。 (1997年12月) |
相変わらずペプシコーラの街灯が目立つ。若干にぎやかになったか?。 (1997年12月) |
やはりまだおとなしさを感じる夜の風景。 (1997年12月) |
2002年の南京東路。完全に歩行者専用道路となり、人の往来が激しくなった。 (2002年2月) |
人の往来が激しいというよりも、人の海! とにかく混雑していて歩くのもままならない。 (2002年2月) |
道の両側はレストランや店が建ち並び、休日には人で溢れ返る。 (2002年2月) |
夜になっても人の波は途切れることがない。明るさも数年前とは桁違い。 (2002年2月) |
店のネオンが上海のパワーの凄さを感じさせる。こんなに明るくていいかしら? (2002年2月) |
数年前からある店も、新しい店も、とにかく競い合うように建っている。 (2002年2月) |
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■ 東方明珠 |
アジア一高いテレビ塔。手前に見えるのは東方明珠のキャラクター? (2002年2月) |
東方明珠からの眺め。このあたりは浦東地区。大きくそびえているのが金茂ビル。 (192002年2月) |
東方明珠からの眺め。このあたりは外灘の方が見えている。手前の河は黄浦江。 (2002年2月) |
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■ 里弄 |
上海の横丁は「里弄(リィロン)」と呼ぶ。ここには市民の生活がそのままある。 (2002年2月) |
軒先に吊るされたニワトリ。こうした風景も、再開発によって徐々に見られなくなってきた。 (2002年2月) |
たまたま撮ったこの場所には、私の生徒の友人の家があった。この奥に家屋がある。 (2002年2月) |
せいぜい自転車しか通れない里弄にはゆったりとした時間が流れている。 (2002年2月) |
■ 街並み |
再開発により壊された市民の住居。ここには高層マンションでも建つのだろうか? (2002年2月) |
ライトアップされた人民公園。使われる光の色が独特の雰囲気。 (2002年2月) |
夜も眠らない高層ビル群。ニュー上海の象徴かもしれない。 (2002年2月) |
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■早市 |
他の中国の都市と同様に、上海の朝も早い。夜明けとともに、市街には市が並ぶ。 (1996年12月) |
生きたまま売られているニワトリ。脚を結んで持ち帰る人に、何人も出会った。 (1996年12月) |
肉屋の店先。新鮮な肉を切り売りしてくれる。 (1996年12月) |
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やはりニワトリを量り売りしている。朝市ではおなじみの風景。 (1997年12月) |
香辛料も量り売り。鮮烈な彩りに、思わず全部欲しくなってしまう。 (1997年12月) |
この賑わいを見るのも、このときが最後となった。2002年に訪れたときには、この場所での朝市は禁止されていた。 (1997年12月) |
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■ 上海駅 |
江南地方への起点となる上海。もちろん、ここから北方、西方への列車も出ている。 (1996年12月) |
駅に入ればエスカレーター。そして、他の駅同様、下りのエスカレーターは動いていない。 (1996年12月) |
列車の案内表示。電光掲示板は中国のどこに行ってもお目にかかれる。 (1996年12月) |
候車室(待合室)。蘇州へ行くために利用した。 (1996年12月) |
■ 虹橋空港 |
上海の西側に位置する空港。浦東空港ができるまでは、ここが唯一の空港だった。 (1996年12月) |
狭く、簡素なつくり。これでは迷いようがないが、それでも中で迷っている人がいた。(^^; (1996年12月) |
国際線のスナックカウンター。うどんや蕎麦を食べることができる。なぜか日本人が群がって蕎麦を食べていた。帰国すればおいしい蕎麦がいくらでも食べられるのに…… (1996年12月) |
国際線の売店。ブランド物も一応あるが、あまり売れていない。ちょっと閑散とした雰囲気。 (1996年12月) |
■ 浦東空港 |
1999年にオープンした新しい空港。国内便と、中国系航空会社の国際便以外は全てここを利用する。 (2002年2月) |
空港建設費を払うともらえるカード。税関を通過する際に機会に通すと、カードは回収される。 (2002年2月) |
左右に長い空港のウィング。使われていないゲートが半分以上あるのでは? (2002年2月) |
国内線の売店。国際線よりも物の値段が安く、面白いものを売っていた。 (2002年2月) |