■ 長江 |
重慶から武漢へ。歴史をたどりながら船は進む。 (2003年7月) |
両岸に見えている岩は、いずれ河に沈んでしまう。 (2003年7月) |
峡谷に阻まれる長江。間もなく三峡が始まる (2003年7月) |
三峡に昇る朝日。中国の日の出は早い。 (2003年7月) |
■ 鬼城 |
豊都の鬼城は王方平と陰長生の二人が仙人になったという伝説がある。 (2002年7月) |
名山公園へはリフトで登っていく。下は山肌。ブルブル〜〜〜ッ (2002年7月) |
三途の川に懸かる橋。この橋は奇数歩で渡りきらなければならない。 (2002年7月) |
占い用の桶。専用のコインをもらって桶に投げ入れる。 (2002年7月) |
コインの落ちた場所によって、占いの結果が決まる。 (2002年7月) |
酒鬼。人の欲が死後にこのような形となるらしい。 (2002年7月) |
閻魔大王の住む場所。この門をくぐる前には片足(男性は左足、女性は右足)で5秒、立ち止まらなければならない。 (2002年7月) |
これが閻魔大王。閻魔大王はかなりきらびやか。派手好きなの? (2002年7月) |
閻魔様に祈る人々。何を願っているのでしょうか。 (2002年7月) |
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■ 瞿塘峡 |
一番目の峡谷。全長8kmでもっとも短い。 (2002年7月) |
崖がほぼ垂直に切り立っている。その崖の間を縫うように進んでいく。 (2002年7月) |
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■ 巫峡 |
二番目の峡谷。巫山十二峰と呼ばれる山々に囲まれている。全長44km。 (2002年7月) |
神女峰の上には人間に憧れ、人間界に降りてきたために石にされた神の娘とされる石がある。 (2002年7月) |
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■ 神農渓 |
巫峡を過ぎてすぐに見えてくるのが神農渓。ここで小さな船に乗り換える。 (2002年7月) |
長江の支流を遡っていく。 (2002年7月) |
10人乗りの船を操るのは、数人の男達。 (2002年7月) |
川幅5〜10mの狭いところを船は進む。 (2002年7月) |
水は透き通り、川底がはっきり見える。川底の石を記念に持って帰る人もいた。 (2002年7月) |
向こう側が神農渓、こちら側が長江。水の色がはっきりと異なる。 (2002年7月) |
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■ 西陵峡 |
三番目の峡谷。三峡の中でもっとも長い75km。 (2002年7月) |
流れは複雑で、航路も狭く、浅瀬も多い。 (2002年7月) |
三峡大ダムが完成すれば川幅も広くなる。 (2002年7月) |
水位はあがり、船の航行は、ずっと楽になるという。 (2002年7月) |
夕暮れの西陵大橋。この河を渡ったところに三峡大ダムがある。 (2002年7月) |
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■ 三峡大[ 土覇] |
今まさに建設中の三峡大ダム。 (2002年7月) |
すでに完成している部分もあり、ここを船で通過できるのはこのときが最後となった。 (2002年7月) |
ダムの建設には正面に見えている三角錐のブロックが使われている。 (2002年7月) |
工事関係者の宿舎。かなり狭くて、非衛生的? (2002年7月) |
■ 葛州[ 土覇] |
ロックゲート式の葛州ダム。船は約1時間かけて水門を通過する。 (2002年7月) |
水門の横を行く人々。ダムを見にきたのだろうか。 (2002年7月) |
水門の幅は、船がやっと通れる程度。水位を調節して船を通行させる。 (2002年7月) |
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■ 船上 |
三峡は船で下る。3泊4日のちょっとした旅行である。 (2002年7月) |
船の中は風呂や洗面台も完備。快適な船旅を…… (2002年7月) |
船内の食事風景。私の乗った皇家公主号(仙娜号)はバイキング形式だった。 (2002年7月) |
オードブル、メインディッシュからデザートまで和洋中華、一通り食べられるにぎやかな食卓。 (2002年7月) |
つい欲張って取りすぎてしまう。いろいろなものをバランスよく…… (2002年7月) |
この日の主食は河粉(幅広のビーフン)。焼きそば風の味つけになっていた。 (2002年7月) |
デザートも楽しみの一つ。毎食 (2002年7月) |
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